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新旧シビックの話

筆者の仕事関連の話題で恐縮ですが、昨年9月中旬に、北米で10代目ホンダシビックが発表になりました。

筆者がこちらに赴任してから今まで、開発や品質熟成に携わってきた車が世に出た訳です。
こちらでは、日本で担当していた仕事の領域より広い領域の取り纏めを担当させて貰い、随分勉強になりました。
苦労した分、今回の10代目シビックは、筆者にとって感慨深いモデルになりました。

先日、そのシビックが北米カーオブザイヤーを受賞したとの知らせが入りました。
関係者の一人としてとても嬉しく思います。


仕事でもラリーでも、ホンダシビックと縁が深いのですが、

改めて、筆者の所有/ラリーでドライブしてきたシビック(時々インテグラ)の走りのモデルを古い順に並べると、

・クイントインテグラ
・シビックSiR (EF9)
・シビックSiR-2 (EG6)
・シビックSiR (EK4)
・インテグラType R (DC2 96 Spec)
・シビックType R (EK9)
・シビックType R (FD2)
・シビックSi (FA5)

歴代シビック(時々インテグラ)を8台!乗り継いできたようです。

レース界では、シビックの名手を、「シビック使い」 「シビック乗り」 なんて言いますが、
自分、そろそろ、シビック使い名乗っていいっすか?


えっ、まだ早い?
はい、そうですね。すみません。


子供の頃は、シビックって好きな車でも何でもなかったんですが。

昔の話で大変恐縮ですが、筆者が中学生位の頃、日曜日の深夜に「モーターランド2」という番組が放送されていました。
日曜の深夜は「モーターランド2」を見た後で「中央競馬ダイジェスト」を見て、その後F1を見て、月曜日は寝不足で登校、 というのが筆者の定番の生活でした。

モーターランド2では、当時のGroup Aというカテゴリーのレースが良く放送されていました。
エンジンの大排気量クラスと、中排気量クラス、小排気量クラスがあって、大と中はそれぞれスカイラインGT-RとBMW M3のワンメイク状態。 唯一異なる車種が競っていたのが小排気量クラスで、トヨタカローラレビンとホンダシビックが戦っていました。

レビンの方がクーペボディでカッコよく、筆者は好きだったのですが、レースになると、お世辞にもカッコいいとは言えない(と当時は思った) シビックの方が優勢で、当時の筆者はレビンが勝てず悔しかったのを覚えています。
はっきり言って、シビックは敵でした(笑)

時は流れ、まさか大人になって筆者がシビックを乗り継ぐ事になるとは、そしてシビックでカローラレビンと全日本ラリーで戦うとは、当時思っても見ませんでした。
人生わからないものです。

そんなシビックやインテグラですが、全日本ラリーでは昨年も、EK9シビックタイプRや、DC2インテグラタイプR、といった10年以上前の車がJN-5クラスで活躍していましたが、今年からは規則が変わり、製造終了後10年を過ぎた車は、全日本ラリーの選手権クラスを走れなくなりました。

よって、三菱ミラージュやトヨタカローラレビン等と同じく、全日本ラリーの”10年規制”によって、多くのラリーストに愛されたEK9シビックやDC2インテグラ、勿論EK4やEG6といったシビック達も、昨年をもって全日本ラリーから引退。

あれっ、ひょっとして、DC5インテグラタイプRやEP3シビックタイプRも今年はNG?


・・・とても残念ですが、これも時代の流れかもしれません。


そういえば先日、新型シビックType Rが発表になりましたね。

歴代のシビック(時々インテグラ)をラリーでドライブしてきた筆者としては、今度のシビックType Rも気になる存在です。
2リットルターボで310馬力の前輪駆動車・・・

とりあえず一度乗ってみたいです。
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昔話:車歴 新旧シビック

2002年のオフ。

更に戦闘力のある車に乗り換えて、翌年から中部地区選手権に出ようと考えました。

色々検討し、中古のラリー車をあちこち見に行ったりもしました。

結果、入手したのが、


「ホンダ シビックタイプR(EK9)」


当時の中部地区戦ラリーBクラス(1400~1600cc)は最激戦区でした。

そこを勝ちぬくために、クラスで一番パワーのあるこの車を選びました。

正直デザインはあまり好きではなかったのですが、そんな事も言ってられず。

元々サーキット仕様だった物を改造して、ラリー仕様に仕立てて、2003年から中部地区戦ラリーに出場。

2005年に全日本ラリー選手権にステップアップし、2007年まで乗りました。

30戦以上のラリーに出場して、地区戦と全日本でそれぞれ1回ずつ優勝できました。

2007年は全日本ラリー選手権JN-2クラスでシリーズ3位まで行く事が出来ました。

6000回転以下のトルクは非常に細いですが、そこからレッドゾーンまでは一気。

クロスミッションでパワーバンドをキープ出来れば、1ランク上の車をも凌ぐ速さでした。

特にルート6製のクロスミッションにしてから速くなりました。


サスペンションもEG6に比べてリアの踏ん張りが増し、ダブルウィッシュボーンを使っていた頃の

シビックの中では最良の足回りだったと思います。(新しいから当たり前ですが)

ダートのラリーに出ると、すぐにロアアームやトレーリングアームが曲がってしまうので、

その辺がもうちょっと丈夫だと良かったのですが。



2006年からのレギュレーション変更で、ノーマルラジエーターを使わなければならなくなってから、

水温上昇の問題が頻発するようになりました。

あれは本当に困りました・・・

シビックはインテグラに対して、ラジエーターの面積が半分しかないんです。

全日本ラリーを走る上で、ラジエーターの問題が一番ネックでした。

水温上昇を防ぐため、色々試しました。

SS走行中は暖房を掛けないと水温が上がる為、室内は尋常じゃない暑さになります。

そこで、真夏のラリーでクールベストを着込んだりもしました。


http://coolvest.jp/
http://rstakeda.blogspot.com/2007/09/blog-post_06.html

本当に、夏のラリーでは大変でした。



あと苦労したのはドライブシャフトのトラブルでしょうか。

純正品アウタージョイントを2戦位のサイクルで、特に異常が無くても交換するようになってから、

トラブルは無くなりました。ただ、お金が掛かりましたが・・・

メカニカルトラブルでリタイヤするよりは、ましと言う事で。



2004年から2007年までの車の変遷です。

2004年(中部ラリー選手権ANDラリー)と、2005年(全日本ラリー選手権2輪駆動部門MACラリー)

IMG_0056.jpg IMG_0151_20131220102458d13.jpg


2006年(全日本ラリー選手権とかち2006)と2007年(全日本ラリー選手権ツールド九州)

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スポンサーロゴは増えて行きますが、だんだんボディが汚くなっていくのが分かります・・・




話は戻って2003年の冬。

シーズンオフメンテナンスなどでEK9シビックに乗れない事があり、 冬の間乗る為の車を探していた時、

筆者の後輩から、車検切れの状態ながら手に入れたのが、


「ホンダ シビックSiR(EF9)」


通称グランドシビック。B16A VTECエンジン搭載。

タダで貰ったような・・・あまり覚えてない。

しかしながら、車の状態はあまり良くなく、

・パワステ効かず

・ダンパー抜け

・マフラー錆、排気漏れ

・エンジンオイル漏れ

などなどなど、色々問題がありました。

練習車なので金を掛ける訳にはいかず、まず真っ先にダンパーは放置決定。

パワステの問題は、ドライバーの気合い(腕力)で解決する事に決定。

マフラーの排気漏れとエンジンオイル漏れは車検に通らないので、漏れ止め剤で塞ぎ、

その他は 「車検に通れば良いチューン」 を実施。

そういえば、鈴鹿市役所に自転車で行って、車検場までの回送許可も貰ってきた覚えがあります。

(回送許可・・・仮ナンバーの事です)


で、見事に車検に一発合格。


その後は、冬の間、筆者のトレーニングに付き合ってくれました。

EG6、EK9とシビックに乗って来てからEF9に乗ると、かなりステアリングレスポンスが良く、

クイックに曲がるように感じました。(車高が低かったのもあると思いますが)

が、ボディ剛性が弱く、また、特にリアサスペンションの接地感が低くて、すぐにリヤが流れる。

なかなか面白い車でした。

お金をかけずに練習する為、リアのトーをアウトにして、更にリアが流れるようにセットして、

当時は筆者のコドライバーじゃなかったみやべ氏と一緒に、YZサーキットに行って2人で乗り回したり、

JMRC中部の新年走行会で鈴鹿サーキット西コースを走ったり、 後輩と雪道に走りに行ったり、

山梨県八千穂レイクの氷上走行会に、10年落ちの貰ったスタッドレスタイヤで行ったり・・・

と、結構頑張ってくれました。

八千穂の氷上で車の暖房が壊れた時は、帰り道が大変でした。

(窓の雪が溶かせないし、ワイパーが凍って効かなくなるし、何よりめちゃくちゃ寒い)


パワステが効かなくてハンドルが重く、ケツがすぐに流れるんで、腕力を鍛えるのにも役立ちました。

雪道でマフラーが走行中に錆びて腐って落ち、トランクにマフラーを入れて帰ってきたりもしました。

(ヤフオクで中古マフラー買って直しました)

ラリーでは、マフラーを吊っているゴムが切れて、マフラーが落ちる事は良くある事ですが、

マフラーそのものが腐って折れて落ちたのは、 これが最初で最後です。




ですが、抜けたダンパーと拾ったタイヤの組み合わせでも、サーキットを結構普通に走れちゃうんです。

軽くて(1トン以下ですからね)素性が良くて、サーキットで安く遊ぶにはとても良い車だと思います。

味のある良い車でした。


結局最後どうしたんだっけ?誰かにあげたような・・・


写真が残ってないですね・・・黒のEF9でした。

当時もっと写真を撮っておけば良かったと、悔いが残ります。




やっと車歴の半分が終わりました。

昔話:車歴 最初の競技車

クイントインテグラを廃車後、再び車を探すことになりました。


探したのは、直ぐにサーキットが走れるような、競技用部品がある程度付いた中古車。

またその車で、可能であれば公認競技、具体的にはジムカーナにも出ようと考えました。

ジムカーナなら、ある程度安全に腕を磨く事が出来るかな・・・と考えた訳です。

あと、レギュレーションの縛りのある中で競いたかったというのもあります。



で、当時発行されていた車情報誌「FREE ROAD」でお店を物色したところ、

中古競技車を多数売りに出していた、とある車屋さんに目が止まりました。

それが、今に至るまでお付き合いさせて頂いている、愛知県日進市のカーショップ、

「アールエスタケダ」さんでした。

若かりし頃の武田社長に車を探して頂き見つかったのが、 次の愛車となる、


「シビックSiRⅡ(EG6)」


色はキャプティバブルーパール。当時のシビックのイメージカラーでした。

エナペタル製の車高調整式ダンパーとエンケイのアルミホイール、タイヤはヨコハマM7R。

ブレーキはウィンマックスの赤いパッドが付いてて、ハンドルはナルディクラシック。

LSDも既に入ってました。


納車された翌日、早速、岐阜のYZサーキットに走りに行きました。

いきなり山に行かない所が、成長の証です(笑)

サベルトの4点ベルトを付けて走りましたが、あまりにもノーマルシートのホールド性が悪く、

YZサーキットの1コーナーで体を支えられず、腰を痛めた苦い思い出があります。


始めてのVTECエンジン車で、トータルの加速感はスターレットと同等かなー、と感じましたが、

ハイカムに変わった時のエンジン音と、加速感の変わりっぷりが衝撃的でした。

トンネルに入ると窓を開け、意味なくエンジンを高回転まで回して、音を聞いてウットリしたり(笑)



そうそう、納車のお祝いに、ダンロップD98J(Sタイヤ)を4本頂いた覚えがあります。

人生初のSタイヤの走行もこの車でした。

この車で随分といろんな所を走り込みました。

ゴミ置き場に捨ててあったタイヤとか、良く使いましたね。


学校を卒業して会社に入ってからも乗り続けて、ジムカーナの大会に2回ほど出ました。

そういえば、モーターランド鈴鹿のこけら落としタイムアタック大会にもこいつで出ました。

その時の写真がありました。しかし変な写真しか残ってないな・・・

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そんな感じで腕を磨きつつ、ラリーへの思いは持ち続けていました。

偶然、職場にはラリーをやっている同僚の方が二人も居て、片方の人からはナビに任命頂き、

国内ラリー出場のイロハを教わりました。(2回中部のラリーにナビとして出ました)

もう片方の人からは、インターラリー用EG6の部品をごっそり頂きました。

なんと、EG6でWRCオーストラリア/ニュージーランドに出場されていた方だったからです。

そんな感じで、どんどんラリーの世界が身近になっていきました。



貰った部品を自分で車に付けて、ロールバーも付けて、ラリコンを付けて、ラリーの練習しました。

大事にして来ただけに、最初にダートを走らせた時は、ちょっとグッと来るものがありましたが、

(ボディに傷が付きますからね)

あっという間に、そんなもの気にならなくなりました(笑)

で、ついにドライバーとしてデビューしたのが2001年中部ターマックシリーズMILDラリー。

その後、以前の記事でも書いたY氏にナビをお願いして大阪電通大チャリティーラリーに出て、

で、2002年には中部ターマックシリーズ4戦と、長野県戦に1回参戦しました。

かれこれ4年位・・・サーキット、ジムカーナ、ラリー・・・と、いろんなイベントに出て、

また、いろんな人々と巡り合わせてくれた思い出の車でした。

いろんな失敗をしながらも、車の整備や部品交換も少しずつ出来るようになりました。



2002年までで競技から退き、練習車にして走らせてましたが、ある日ぶつけて壊してしまい、

駐車場に放置状態だったものを、筆者の先輩がレース用に改造するからくれ、 という事で、

ドナドナされて引き取られて行きました。

いまはどこでどうなっているんでしょうか・・・




さて、ラリーを始めた頃と平行して、もう一台、足代わりの車を同僚の方から買いました。


「ホンダトゥデイ ポシェット」 青い丸目のトゥデイです。

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シビックのエアコンを、これまた若気の至りで外してしまった為、通勤用に、エアコンの効く、

運転の楽な車が欲しかったからです。

これがまた、非常に曲者でして、エンジンがスラッジ(オイルのカスみたいなもの)だらけ。

買って直ぐに、スラッジがオイルストレーナー(オイルをオイルパンから吸い上げるもの)

を詰まらせて、オイルが循環しなくなり、オイル警告灯が点灯しました。

このままでは、買って速効でエンジン焼きつき=エンジンオシャカ、という状態でした。


筆者の車歴は、買って速効で何か起きるのがパターン化してますね・・・


足代わりで買った車のエンジンをオーバーホールしたくはなかったので、先輩に手伝って貰い、

ダメ元でオイルパンを外して、ストレーナーを新品に変え、オイルパン内のスラッジを掃除して、

新しいオイルを入れてみた所、見事に警告灯が消え、復活!

試運転もそこそこに、実家に帰る用事があった為、鈴鹿から岐阜に走行中。

「カラン・・・・」

という音と共に、バックミラー越しに何かが道を転がって行くのが見えました。

と共に、消えたはずのエンジンオイル警告灯が再点灯。

道端に止めて車を見ると、



「ジャバジャバジャバーーー」



エンジンオイルが超スーパーダダ漏れ。

すぐに悟りました・・・ドレンボルトが落ちた・・・


多分、手締めのまま、本締めを忘れたのでしょう。

ドレンボルトとオイルを、一度に国道上で失いました(笑)

このまま、JAFの御世話になるって事は、また母に呆れられる訳です。



という事で、変な意地を張った筆者は、もと来た道を徒歩で、ドレンボルト探しに行きました。

幸い、トラックにも引かれず、ドレンボルトが無傷で見つかったので回収。

あとはオイルを確保すれば・・・と、遠くにホームセンターが見えました。

2kmくらい歩いたと思いますが、「コメリ」でオイルと漏斗、キッチンペーパーを確保。

トゥデイと共に大ピンチからの生還を果たしたのも、ちょっと苦い若かりし頃の思い出です。



このトゥデイ、これ以外は大きなトラブルもなく結構長生きして、筆者の足になってくれました。

ただ、肝心のエアコンの効きは悪かったです(笑)



何か書き出したら止まらなくなってきました。


次回に続きます。

昔話:車歴 最初の愛車

レースゲームで腕を磨き?セガラリーとNHK BS1のWRCダイジェスト放送に触発され、

筆者のラリーに対する憧れが高まった中、18歳で待望の運転免許を取得。

同じくラリー熱が高かった?筆者の友人達も、ランサーエボやセリカGT-FOURといった、

ラリーベースの車を購入するなか、筆者も本当は「インプレッサWRX」が欲しかったのですが、

高すぎて買えませんでした。



で、代わって筆者の初めての愛車となったのが、

「トヨタスターレットGT」

未だに日本のラリー界ではおなじみのこの車。

筆者の車は後期型のEP82ターボ、丸目、色は黒。当然のようにMT車。

当時はまだ丸目のタマが無くて、車屋さんに結構探して貰った覚えがあります。

免許取りたての筆者には衝撃的な加速でした。

で、若気の至りと言いますか、納車後速効で山道に持ってって、速効で立木に刺さりました・・・

ぶつかった時に、エアコンの吹き出し口から白い煙がモワーって車内に入ってきて、

さながらドリフのコントのようでした。

そのままドロンしたい所でしたが、残念ながらこれはゲームやコントじゃなく、リアルでした。


当時、母がJAFの電話応対の仕事をやってましたが、筆者がJAFにヘルプ電話(8139)したら、

母がオペレーターとして電話に出ました(笑)

これまた速効で母にバレました。

「山奥だから直ぐにはレッカー着かないから、そこで暫く頭を冷やしてろ!」

って、JAFの電話口から母に怒られました。

過ぎし日の良き思い出です・・・



その後は、山道で飛ばすのではなく、クローズドのコースで腕を磨こう、と改心?し、

岐阜の山奥にあるサーキット「瑞浪モーターランド」「YZサーキット」に通うようになりました。

当時は「FREE ROAD」っていう雑誌があって、そこのパーツ売りたしコーナーで見つけた、

中古のTRD製車高調整式ダンパーと、中古のJIC製マフラーをバイト代を貯めて買って、

知り合いの車屋さんから、ファルケンGRベータTune2っていう、長い名前のタイヤを買って、

そのタイヤをラリースパルコターマック、っていうホイールに組んで、それで走ってました。

サーキットでもタイヤが減らなくて、ブレーキもノーマルのままで問題なくて、燃費も良いから、

学生だった筆者でも何とか維持出来ました。(当然バイトはMAXでやってましたが・・・)

サーキットを自己流で走って、ヒールアンドトウとかアウトインアウトとかの練習をしました。

が、19歳の時に2回目の事故を起こして、残念ながら廃車になりました。



車が無くなったので次の車を探していた所、当時世話になってた車屋で「5万で持ってっていいよ」

って言われたのが、次の愛車になる、

「ホンダクイントインテグラ RSi」黒のAT車。

1600ccのZCエンジン搭載、車のサイドにはPGM-FI(電子制御燃料噴射)とDOHCのデカール。

いや、もうこっ恥ずかしいくらいにデカく、「DOHC!」「PGM-FI!!」って。

今じゃ電子制御燃料噴射とDOHCなんて普通の技術ですけど、当時はセールスポイントだったんです。

(まあ、その当時、既にクイントインテグラは相当な型遅れ車でしたが)

用もなくヘッドライトを点けたり消したりして、リトラクタブルヘッドライトで遊んでました(笑)



まあ、なんせ5万の車なんで、元々傷だらけ。

傷付こうが凹もうが全然痛くなかったんで、河原に持って行って、サイドブレーキ引いて滑らせて、

ドリフトの練習(真似ごととも言う)とかしました。

タイヤもプアなの履いてたんで、良く滑りました。

この車で、安い車を買って遊ぶ、という楽しさを覚えた気がします。

乗り回す中で印象的だったのはエンジン。回る上にトルクがあって、音も良い。

ZCエンジンはVTECになる前のエンジンですが、乗りやすくて良い特性でした。



しかし、

2か月でブレーキ系(マスターパワー)が壊れ、修理費が車両費を上回りそうだったので(笑)

この車も廃車にする事に。



依然としてラリーに憧れはありましたが、どうやって始めたら良いのか分かりませんでした。

でも、走る事は好きだったので、純粋にもっと速くなりたい、と思って、出来る範囲で走ってました。



という事で、車を再び無くしてしまい、次の車を物色する中で、のちの筆者の人生に大きく影響する


「出会い」


がありましたが、それはまた次回に回したいと思います。

昔話:青春時代とゲームの話

アメリカもラリーはシーズンオフです。

今年のサンクスギビングは自宅でゆっくり。

ブログネタがありません。

という事で、困った時の「昔話ネタ」を繰り出します(笑)



時はバブル経済末期、筆者は小学生~中学生。

世間は空前のF1ブーム。

少年ジャンプの表紙がF1だったりして、子供に与える影響も絶大。

筆者もF1に憧れて、中学生くらいから「Racing On」を買い始めました。

当時は隔週刊紙だった気がします。

Racing Onで他のカテゴリーのレースも知りました。

最初はサーキットでのレースに憧れてて、ラリーはそんなに興味が無かったんですが


当時は当然車の免許がなく、車を運転出来ない筆者がひたすらハマったもの。

筆者の人生を変え、モータースポーツを志すキッカケの一つになったものは、


「ゲームセンターのレースゲーム」


青春時代、少ない小遣いをやり繰りして、レースゲームばっかりやってました。

もう随分前の話ですが、筆者の人生に多大な(悪)影響を与えたゲーム達を振り返ってみます。



・ファイナルラップ2(ナムコ)

4人対戦出来るのが、家から自転車で30分くらいの所にあって、友人と良く行きました。

車に色がついてて、フェラーリとかマクラーレンとかが、一応再現されていました。

順位が後ろの方が車が速くなるんですよね。

ゴール寸前まで後ろにいた方が最後勝てる可能性が高くなるので、駆け引きがありました。


・バーチャレーシング(セガ)

レース中の視点を変えられる事が出来たり、ポリゴンが使用されていたり、

タイヤのグリップが周回によって変わったり、ピットストップがあったり・・・

車の挙動もリアル(だと当時は思った)で、7速のパドルシフトがハンドル裏に。

と、画期的なゲーム。

めちゃくちゃハマりました。

ゲーセンの売り上げに、筆者が相当貢献したのは間違いない(笑)


・エースドライバー(ナムコ)

正直、バーチャレーシングの衝撃に比べると影が薄い。

あまりゲーセンにも置いてなかったです。

続編で、「エースドライバービクトリーラップ」 というのもありました。

そんなに思い入れがないです。


・リッジレーサー(ナムコ)

ハコ車を、峠道(一般道)でドリフトさせながらレースをする所が、それまでのゲーム

(フォーミュラーカーレース系が殆ど)とは一線を画してました。

バイト先のそばのゲーセンに、所謂「DX筺体」というものが置いてあって、1回200円。

(300円だったかも)

それには、クラッチペダルと6速Hパターンのギアシフト、大径のハンドルが付いてました。

それまでは小径のハンドル、パドルシフトといったフォーミュラーカー系のものしか無かったので、

筆者には非常に衝撃的なゲームでした。

まあ、免許の無い筆者にはクラッチなど使いこなせる訳もなく、金銭的にも1回200円は厳しい(泣)

難しいゲームだった記憶があります。

続編で、レイブレーサーってのもありました。


・デイトナUSA(セガ)

これはレースというよりも、ぶつけ合いのバトルを楽しむゲームでした。

あと、カッコいいテーマソング(笑)



とまあ、こんな感じでやり込んでましたが、

時を同じくして、もう一つの(筆者にとっては)衝撃的なゲームが発表されます。



・セガラリーチャンピオンシップ/セガラリー2(セガ)

はっきり言って、筆者の進む道を決めたとも言えるこのゲーム。

本当に印象的なゲームでした。

当時は何時も、頭の中に「セガラリーのテーマソング」が流れてました。

セガラリー1では、使える車がランチアデルタとセリカGT-FOURだけでしたが、

セガラリー2では選べる車が6種類になって、どれを選ぶかによって操縦性が変わり、

乗りこなそうと夢中になってプレイしてました。

主に筆者は、「プジョー306MAXI」と、「フォードエスコートWRC」を使ってました。

プジョーはターマックが速くて、エスコートはオールマイティーで扱いやすい。

あまり周りで、これらの車を使ってプレイしている人は居ませんでしたが・・・

(大体みんなランサーエボかインプレッサ、時々ランチアストラトス)

ちょうどNHK BS1でWRC(世界ラリー選手権)が月に一回程度放送されていた事もあり、

筆者のWRC熱はこの頃ピーク。

マクレーのドリフト走行や、2WDのプジョーを駆るパニッツィの狂気の?走りに憧れました。

ちょうどこの頃、車の免許を取った事もあり、ゲームから実車の世界へ移行して行った訳です。


「いつかラリーがやりたい!WRCに出たい!」


という思いと共に。


そんな感じで、次回に続きます。



ちなみに、当時のゲームで、今一番何がやりたいかというと、バーチャレーシングでしょうか。

大人パワー(金の力とも言う)でやり込みたいですね。