初心
ブログも見てくれていたらしく、先日の記事に指摘が入りました。
彼を口説き落とした言葉は、
「全日本ラリーで優勝しよう」
ではなく、
「WRCに出よう」
だったという事です。
全日本ラリーでの優勝、チャンピオン獲得は通過点だ、なんてほざいてたようです(笑)
そう言えば、筆者のラリーの原点は、昔NHK-BSで見た、
「ヨーロッパの山道を、鈴なりのギャラリーの中、ドリフトで駆け抜けるラリーカー」
でした。
昔は、日本メーカーがワークスでWRCに出てて、日本で頑張って実績を挙げれば、
何時かはワークスドライバーになって世界に出られる、なんて思ってました。
しかし残念ながら、日本のメーカーはWRCワークス参戦を止めてしまいました。
WRCラリージャパンも開催されなくなりました。
今、WRCに出るにはどうしたら良いか・・・
それは、自分で世界に出ていくしかなくなりました。
「じゃあ、世界のラリーって、世界のスタンダードって、どうなっているのか?」
全日本ラリーに集中してきた筆者には、全く知識がありませんでした。
世界に出て走るための、ドライバーとしての知識が何一つなかったんです。
だから今、苦労しています。
ドライバーに求められる要素は、速さだけではありません。
交渉力、語学力、資金力・・・これらも立派なドライバーとしての能力の一部です。
昔、F1ドライバーの井上隆智穂が言ってましたよね。
「自分が示したように、資金力と交渉力があれば、F1ドライバーになれる」って。
今、アメリカに来て、改めて思うことは、
日本では、素晴らしい仲間と素晴らしいチーム、多くのスポンサー様、多くのよきライバル、
応援して頂いた多くの方々に支えられ、恵まれた環境でラリーをやらせて頂いていた事です。
だって、アメリカには、筆者が走るための環境なんて、何にもないのですから。
全部、0から作り上げなければなりません。
あまりにも何も知らな過ぎて、甘く考えてましたね。
突然全日本ラリーを終えることになって、気持ちの整理もなかなかつかなかったですし。
とりあえず海外行けば、海外のラリー出れるだろう、てなレベルでしたから。
ちょっと話が脱線しましたが・・・
初心に戻って、WRC、とりわけ世界のラリーの中心である欧州を目指すにはどうしたらいいか、
を考えると、
今は、アメリカで、0からのスタートにはなりますが、地道に顔を売って、
自分を知ってもらって、英語も勉強して・・・で、アメリカでしか出来ない事をやる。
これが、今後自分で道を切り開くための第一歩だと思います。
やっと最近気持ちの整理がついたんですよね。
初心を思い出しながら。
「アメリカで出来れば、その他の国でも出来るでしょ」・・・筆者の尊敬する先輩の言葉です。
もちろん日本でやった事は無駄じゃなかったですよ。
JN-3クラスのナショナルチャンピオンの肩書はかなり有効です。
自己紹介も簡単です(笑)
というわけで、初心を忘れるべからず、というお話でした。
もうちょっと時間かかるかもしれませんが、やりますよ。。。

まだ初心を忘れてなかった頃:2005年。
全日本ラリーデビュー戦、ツールド九州終了後(クラス17位で完走)の写真。
アールエスタケダ武田社長、コドラのY氏と。
3人ともいい笑顔です。

ドライブ
あれだけ暑かったのに、すっかり秋の気配。
さて、筆者の乗っていたリースカーのアコードはお役御免となり、

CR-Vに変わりました。
前のアコードとはうって変わって(笑)こいつは筆者のお気に入りです。
とても良い車に仕上がっています。
ハンドリングと乗り心地のバランスがとても良いです。
また、厳しい冬を想定して、4WDを選択しました。
あとは、ダンロップのスタッドレスタイヤを履けば、冬でもバッチリでしょう。
と言う事で、こいつで久しぶりにシンシナティまでドライブに行って来ました。


シンシナティのユニオン駅。アメリカの鉄道、AMTRAKの駅です。
中に博物館があります。


ルイ53世やないかーい!
ルネッサーンス!棚倉。
帰りはシンシナティ名物、スカイラインの「チリ」を食べ(味はまあまあ・・・)

ミシシッピ川の支流、オハイオ川の川べりをドライブして、インディアナに帰ってきました。
インディアナはこれから一気に寒くなって、日も短くなっていきます。
短い秋を楽しみたいと思います。

うちの箱入り息子です。

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