アメリカ式 子供の誕生会
師も走るほど忙しい月、12月。
我が家も、毎年11月末から年明けに掛けては大変です。
11月末のサンクスギビングホリデーから始まり、
子供の誕生日
子供の誕生日
クリスマス
正月
自分の誕生日
毎週何かしら祝っているような気がします。
アメリカでは、子供の誕生パーティー(大人もですが・・・)を盛大にやるのが多いみたいです。
うちの子供達(と奥さん)も、度々幼稚園の友達のパーティに呼ばれて参加していたようです。
そして、遂に、と言うか、とうとうと言うか、お返しみたいな感じで、我々も誕生パーティを主催する事になりました。
と言うか、奥さんが全部決めました・・・
まあ、子供も幼稚園に行き出して数年、言葉が通じない中色んな苦労があったと思いますが、アメリカで頑張ったし、 有りがたい事にアメリカ人の友達も出来たので、最後だしご褒美だと言う事で、誕生パーティを実施した次第です。
アメリカでは、子供の誕生会や各種催し物をやる為の場所、パーティースペースが割とあちこちにあります。
今回は、「Bounce U」という、子供向けのインドアアミューズメントがあるのですが、そのお店の一室を借り切って誕生日会をしました。
中には、空気で膨らませた滑り台とか、トランポリンとかがあって、所謂「ふわふわ遊園地」になってます。
子供達が狂ったように遊びます(笑)
ひとしきり遊ばせた後は、別室でピザやケーキを食べる、という感じです。

子供達の親も当然来るのですが、筆者は初対面の人も多く、何を話せば良いんだ、って感じです。
かと言って、全く話をしないのも失礼ですし、うちの子供と仲良く遊んで貰っているのですから、親としてここは一肌脱がねば。
と言う事で、全力でフレンドリー感を出しながら、お話をさせて頂きました。
早く時間たたねーかなーって思いながら(笑)

ケーキはアメリカンな色使いの、アメリカらしい、クッソ甘いケーキを買ってきました。
アメリカ人にはやはりこれが良いようで、子供たちはむさぼり食べてました(笑)

奥さんと子供達のお陰で、筆者も良い経験をさせて貰いました。
と言う事で、怒涛のお祝い月間も、もうすぐ終わりです。
明日からは勤務先もクリスマス連休に入ります。今年は来年1月3日まで。
今年もいつものように、クリスマスの日にサンタクロースからのプレゼントを偽装した後(笑)旅行に出かけます。
アメリカ駐在で最後の長期旅行になると思います。
高々5年では、アメリカの隅々まで周る事なんて出来ませんね。
まだまだ行ってみたい場所が沢山残ってますが、これは未来の楽しみに取っておきます。
と言う事で、
ふぉぉぉーー休みだぁぁーー!

英語の発音
良く、英語を日本語のように喋ると、意味が通じると言われる事があります。
良く聞くのは、
・ワラ(Water)
・堀ったいも、いじるな(What time is it now?)
・揚げ豆腐(I get off)
とかですね。
発音の悪い筆者も試してみましたが、普通に通じます。
ただし、掘ったいもいじるな、は、掘ったいも、で止めておいた方がより通じやすいと思います。
という事で、日本語のような英語は割と通じる事が明らかになったのですが、筆者はもう一段掘り下げて見ることにしました。
タモリ倶楽部の「空耳アワー」ってありますよね。
筆者は空耳アワーが大好きな、自他ともに?認めるソラミミストなのですが、今までの人生の中で数多くの空耳に出会い、英語への造詣を深めてきました。
笑い過ぎて呼吸困難になった事も数知れず。
空耳アワーは、筆者の人生と筆者の腹筋の強化に、多大なる影響を与えていると言っても過言ではありません。
という事で、空耳アワーへの恩返しとして(笑)空耳アワーの名作を厳選し、ピックアップして、日本語でしゃべったら意味が通じるのか確かめてみました。

いずれも超名作ぞろいです。
被験者は、同じ職場のマイクとジェイソン。
結果は以下ののとおりです。
バケツリレー、水よこせ・・・×
すし、鳥、風呂、寝ろ・・・×
農協牛乳・・・×
尼下痢で海に出れねえ今朝も下痢で・・・△ 尼下痢で、のところだけちょっとわかったらしい
どどどど童貞ちゃうわ・・・×
アホな放尿犯・・・○
という結果になりました。
さすが世界のビートルズ!
あと、尼下痢で、のところで、ジェイソンは「それってデフレパードじゃない?」と気づいたようです。
さすがデフレパード。
残念ながら、空耳の帝王、メタリカは全滅でした(笑)
という事で、日本語のような英語は通じるのか?のレパートリーに、
I wanna hold your hand
が加わりました事をお知らせ致します。
英語を話すパートナーの方と手を繋ぎたいけど、英語の発音に自信の無い方は、
アホな放尿犯
と言えば通じますから、宜しければ参考にしてみてください。

英語の勉強の話
筆者を含め、登場人物は全員英語を話していました。
英語の夢を見ると、英語が上達した証と良く聞きますが、筆者もかなり上達したという事でしょうか。
因みに、夢の内容は、屋根の無いジープにアメリカ人3人と筆者で乗って、筆者が外に手を出しながら、
「60キロで走る車から手を出すと、おっぱいの感触なんだって!」
という事を、英語でアメリカ人に伝えるという、訳の分からん夢でした(・_・;
そりゃもう、一生懸命英語で伝えてましたよ・・・
feel of my hand from headwind against the car is like boob....this is Japanese superstition...do you feel it?
とまあ、2011年4月に渡米してから今まで、英語には本当に苦労させられました。
ただ、海外ラリー経験のある先輩に聞いた、「海外ラリーで英語が出来ないのは非常にマズイ」という言葉が心に強く残っていて、筆者も海外ラリーに出場したかったですから、英語を上達させよう、というモチベーションは当初から高かったと思います。
世の中にはいろんな英語の勉強法がありますが、
「とにかく英語を覚えよう、勉強して上手くなろう」
というモチベーションと、明確な目標設定、これらが無いと、勉強法を論じる以前の問題だと思います。
英語といっても、単語、文法、リスニング、ライティング、英会話など色んなジャンルがあります。
勉強というと、それらを一つ一つ勉強する感じだと思いますが、筆者はそれらを並行して同時に勉強、というか、実践していきました。
まず、一番最初は、単語を覚える事から始めました。
もともとのレベルが中学生レベルの英語力だったんで、知らない単語とか一杯ありました。
仕事で頻出する単語って結構あって、それをメモして辞書を引く(というか、翻訳ソフトを使う)
これで単語を少しづつ覚えていきました。
単語が分からないと、何も始まらないというか、絶対的にコミュニケーション取れないですよね。
トイレに行きたいのに、トイレという単語(アメリカではrestroomあるいはbathroomといいます)が分からないと、何とも伝えようが無くて、お漏らし待ったなし、じゃないですか。
貴方が好きです、って言いたいのに、Loveって単語を知らないと、コミュニケーションが取れないですよね・・・で、イキナリ抱きついたら、ただの変態ヤローになっちゃうじゃないですか。
つまりそういう事です。
まずは単語。これは間違ってないと思います。
単語を並べておけば、何とか最低限のコミュニケーションはとれるもんです。
それと同時に、仕事で沢山メールを書いて、メールを読んで、文章の書き方とか、言い回しとか、そういったものをアメリカ人の書いたメールからパクって(笑)自分のものにして行きました。
こっちに来た当初は、業務メールを英語で1つ書くのに1時間とか掛かってましたが(汗)今では相当早く書くことが出来ますし、文章を読むのも早くなりましたから、情報処理速度が上がって仕事の効率が向上しました。
とにかく実戦で覚えた感じです。
以前は、翻訳サイトをいくつも常にPCに準備しておいて、自分の書きたい日本語文章を幾つかのサイトに入れて、一番感じが良いと思われる英語の文章をメールに貼り付けて、ちょっと修正したり、あるいは2つ3つのサイトの英語をミックスしたりして、何となくいい感じの文章を作っていましたが、今では翻訳サイトは殆ど必要無くなりました。
インターネットの無い時代は全部辞書引きですから、大変だったでしょうね。
仕事の合間には、アメリカ人と話す事も良くしました。
仕事の相談や依頼をする前に、必ず雑談をするようにしていました。
昨日野球どうだった?とか、週末何してたの?とか・・・
時々雑談が盛り上がりすぎて、1時間とか雑談してしまった事もありましたが(笑)ある程度雑談をした所で、
「ところでさー、仕事の話なんだけど・・・」
みたく切り出す感じです。
やっぱり、人と人との信頼関係が無いと、人は動いてくれませんから、信頼関係を築く為には、こっちは英語はあまり出来ないけど、こっちから歩み寄って、一緒に仕事する気持ちがありますよ、って示して行かないと、良い関係は作れないですよね。
逆の事を考えてみれば分かると思うんですけど、何人でも良いですが、いきなり外国からやってきて、日本語覚える気もなく、ひたすら外国語で指示ばっかりして、仕事の話しかしない奴って、こっちからしたら、言う事を聞こう、って思いませんよね。
それが、マネージャーじゃなくて、役職や肩書のない、我々と同じ立場の人間だったら、なおのことです。
雑談と仕事の話、あとは会議やプレゼンへの出席、そういった事を通訳なしでやって、耳を鍛えて、ボキャブラリーを増やして、アメリカ人との会話に緊張しなくなるまで続けました。
まあ、今でもアメリカ人との会話はちょっとは緊張しますけど、昔に比べれば全然まともに会話できるし、相手が何を言っているのかも、ほぼ、理解できるようになりました。
発音の悪さは相変わらずですが・・・
現地校に言っている息子に、発音の点数を良く付けられます(笑)今のはGoodとか、OKとか・・・
あとは、咄嗟の一言が出てこない事が多いので、これは今後の課題。
通勤は車で、片道1時間掛かるのですが、最初の3年位は英語のCDを聞いて走っていました。
だから、1日2時間は英語のCDを聞いてた事になります。
今では、英語のFMラジオを常に聞いて走っています。
ただ、これが猛烈に眠くなる(笑)
朝が早かったり、夜が遅かったりする事も良くあったので、眠気を我慢するのは大変でした。
目標設定は、TOEICの点数で設定しました。
駐在何年で何点、みたいな感じです。
TOEICの点数で、英語力の全てを計れるという事では無いのですが、明確な点数を目標にする事で、また、それを公言する事で、日々のモチベーション低下を防ぎ、自分自身の進化を確認していった感じです。
筆者が元々設定していた目標は達成したので、今は次の目標に向かって更にスキルを上げている最中です。
今年の2月に受けたら775点だったので、次は860点を目標にしています。あと85点。
こんな感じだったので、最初の数年は、頭が常にオーバーヒート状態で、仕事終わりは毎日ヘロヘロでした。
日々の業務と英語漬け、アメリカ人との文化の違いで気を使う事も多く、家に帰ったら抜け殻状態。
日本なら、ちょっと外出て飲みに行こう、とか、美味しいものを食べに行こう、とかで気持ちをリフレッシュ出来たりするのですが、こっちには、そもそも美味しい食事を出す店があまりなかったり(笑)家から歩ける範囲にはお店が無かったり、公共交通機関が無かったりで、ちょっと飲みに行くこともままなりません。
ストレスの掛かる日々だったと思います。
言わば、「修行」ですね。
えっ、ラリーでストレス発散してるやないか、って?
ラリーでもストレスの掛かる事ばかりでしたからね・・・
本当に、SSを走っている時だけですよ。ストレス発散出来てるのって。
あとは旅行ですかね。まあ、旅行でも不測のトラブルに巻き込まれて、ストレス溜めてたりしましたし・・・
ただし、苦労した事で、昔からの目標であった「海外ラリーへの参戦」は、全米ラリー選手権への参戦という形で実現出来ましたし、運も味方してくれて優勝する事も出来ました。
ただ、元々の夢は「日本でチャンピオンを取って、世界選手権で戦い勝つ事」でしたから、まだまだ夢半ばです。
語学力や異国での対応力は、5年のアメリカ駐在で磨けましたので、次はこちらで整える事が出来なかった、
「速さを磨ける練習環境」
を日本で再構築して、ラリードライバーとしての速さをもっと磨いて行きたいと思っています。
そして、もっと高いステージで頑張りたいと思います。

オクトーバーフェストの話
自宅からは車で南東へ2時間。
シンシナティのダウンタウンで9月末に開催される、全米最大の
「オクトーバーフェスト」
に参加する為です。
最近知ったのですが、シンシナティはドイツ移民が多く住んでおり、ドイツ文化が強い土地柄なのだそうです。
シンシナティのダウンタウンの大通りを歩行者天国にして、ビールやソーセージ、ドイツ料理を売る屋台が並んでいます。
移動遊園地もあります。
ステージがあって、ドイツの踊りやバンド演奏、催し物など。
予想したとおり、なかなか面白い。

筆者も昼間からビールを頂きました。
地ビールメーカーがあちこちで店を出しています。
有名なサミュエルアダムスから、地元のマイクロブルワリーまで。
ラガービールやエールビール、フルーツフレーバーのビール、リンゴ酒、ワインまで、色んな酒が飲めます。
1杯で500から600㏄入っていますが、6ドルとそんなに高くない。
これは良い。。。イッヒリーベンビア。


これはおつまみ。
ソーセージとザワークラウト。ビールと比べてクオリティはそこそこ、値段はお高め。

子供達は移動遊園地で楽しめたようです。

当日はシンシナティでNFLの試合があったので、試合終了後はかなりの人が流れてきてごった返していました。
が、泥酔して騒いだり、暴れたりしている人たちは居ませんでした。
警察官があちこちに居て見張っているからかもしれませんが。
本場ドイツ、ミュンヘンのオクトーバーフェストには行った事が無いのでどんな感じかは分かりませんが、 シンシナティのオクトーバーフェストは、アメリカらしく家族連れにもやさしいイベントになっていると感じました。
シンシナティのオハイオ川を渡った対岸にもビアレストランがあって、そこでもビールを頂きました。
つまみはソーセージとルーベンサンド。
旨い・・・イッヒリーベンドイッチュランド。


という事で、アメリカに居ながら、本場のビールとソーセージを堪能してきたお話でした。

お知らせ
いつも、「NO RALLY, NO LIFE」をご覧いただきありがとうございます。
長らく日本を離れ、アメリカで暮らしておりましたが、来年1月末にアメリカ駐在の任期を満了し、日本に戻る事になりました。
2月からは以前と同様に、三重県鈴鹿市が勤務地となります。
という事で、4年10カ月に渡るアメリカ駐在生活が間もなく終わります。
仕事やプライベート、そしてラリーを通じて、さまざまな事を勉強させて貰いました。
楽しい事、辛い事、大変な事、腹立つ事、嬉しい事、一杯ありました。
ですが、大きな事故や怪我、トラブルも無く駐在生活を終えられそうなのは良かったと思います。
(まだ終わってませんが)
日本に帰ったら、まずは家探し、そして車を買い、生活用品を揃え、・・・と忙しくなります。
ま、言葉が通じますから、アメリカでの生活立ち上げよりは楽かと思います(笑)
と言う事で、アメリカ生活ラストスパートの「NO RALLY, NO LIFE」を、引き続き宜しくお願い致します。

サンフランシスコに行ってきました
木曜から日曜まで、4日間の休みしかなく、移動にも時間が掛る為、もの凄くタイトスケジュールになりました。
水曜日に仕事を終えて、一路北上しシカゴを目指します。
空港近くのホテルで一泊。
翌木曜日、8時15分発のシカゴミッドウェイ空港発サンフランシスコ空港行き、サウスウエスト航空の便に乗ります。
今回は、いつものシカゴオヘア空港ではなく、国内線メインのシカゴミッドウェイ空港から飛びます。
思ったより大きな空港で、利用客も多かったです。

4時間50分のフライトを経て、サンフランシスコに11時に到着。
シカゴとの時差は2時間、インディアナからだと3時間。
レンタカーを借りて、サンフランシスコの街中へ。
今回の相棒は、ニッサンマキシマ。トヨタカムリとか、ホンダアコードなどと同じクラスのセダンです。
駐車場そのものは割と有るのですが、サンクスギビングで休みの駐車場が多く、車を停めるのに苦労しました。
とりあえず車を停めて、世界で一番でかいと言われている、サンフランシスコのチャイナタウンで飲茶ランチ。
Great Eastern Restaurantと言うところで食べましたが、特にシューマイが美味しかったです。


その後はゴールデンゲートブリッジへ。
ちょうど日没が見れました。

翌日の朝食などの買い出しをして、ホテルに戻り、食事。
チャイナタウンの外れにある謎のうどん屋に行きました。
が、ここはハズレ・・・
これにてDay1終了。

翌日は早朝から、ヨセミテ国立公園へドライブ。
順調にいけば3時間半で到着します。
国立公園のゲートに着くと、何やら並んでいます。
公園の係員(パークレンジャー)曰く、雪が降って積もったので、ここから先はチェーン装着要だとか・・・
これは想定外。
何処で買えるの?と聞いたら、そこで売ってるよ、とのこと・・・What?
チェーン屋さんがトラックを持ってきて、出張販売していました。
列に並んで、チェーンをGet。64ドル・・・
チェーンを巻いて、いざ出発。1時間ロスった。

ヨセミテ渓谷の岩山と、700m以上の落差を誇るヨセミテ滝を堪能。
ただ、景観は思った程じゃ無かったかな・・・夏に来るべき所かも知れませんね。 寒かったし。



現地を3時半位に出発し、途中でチェーンを外して、チェーンのワイヤーで手を切って流血して(軍手が無かったので・・・) 大急ぎでサンフランシスコまで帰ってきたのが午後8時。
そのままフィッシャーマンズワーフにあるレストラン「スコマズ」で夕食。
人気店らしいんですが、時間が遅かったのでそんなに待たずに入れました。
トマトソースの魚介煮込みがウマかった。
これでDay2終了。

Day3は朝9時から出動。
実質この日が唯一の市内観光の日です。
まずはフィッシャーマンズワーフに車を停めて、名物のケーブルカーに乗車。一人7ドル。幼児は無料。
もの凄い坂を、古い車両がゴトゴト登って行きます。一見(一乗)の価値ありです。

終着駅はユニオンスクエアといって、一番の繁華街なので、その周辺をぶらっと。
でっかいクリスマスツリーとユニクロがありました。


そこから路面電車に乗って、再びフィッシャーマンズワーフへ。
一人2.25ドル、幼児無料。
フィッシャーマンズワーフのピア39という所が一番栄えています。
昼食はクラムチャウダーとクラブカクテル(カニの身)、魚のフライにしました。


子供のリクエストにより、水族館へ。

その後は遊覧船に乗ります。
ゴールデンゲートブリッジをくぐり、監獄の島、アルカトラズ島を通って帰ってきます。
アシカが大量にいました。


ゴールデンゲートブリッジは1937年完成だとか。
こんなデカい建造物を80年前に良く作ったなと感心します。


船から降り、クレープを食べ、ピア39の横にあるピア41、43へ。
魚介類を売る屋台がありました。
カニ、エビ、カキなどが売っています。
エビカニのカクテルを買いました。



車でホテルに戻り、歩いて再度チャイナタウンへ。
四川料理の店、Z&Y Restaurantというところがおいしそうだったので行ってみました。
ミシュラン一つ星の店との事。30分以上待ちました・・・確かに待った甲斐はあっておいしかった。


近くの店で売っている、行列の出来るエッグタルトも買えました。
これもおいしいです。

これでDay3終了。大忙しです。
Day4はホテル8時出発、空港で車を返し、11時20分発のシカゴミッドウェイ空港行きサウスウエスト航空でシカゴに戻ります。
定刻通りシカゴ着、車を駐車場から出して帰路に着いたのが6時過ぎ。
3時間半程掛けて、時間も1時間進み、家に着いたのが夜の11時前。
かなり大変な旅行になりました。
サンフランシスコは景観がきれいで、古いものと新しいものの調和がとれて、賑やかで、非常に面白い町でした。
食事もおいしいものが一杯あります。
ただ、インディアナよりは物価が高めですね。ガソリンもインディアナの2倍近くの値段でした。

また行く機会があれば、もっとゆっくり滞在してみたい町です。

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