大阪電通大ラリーの思い出

「No Rally No Life」


と言いながら、最近すっかりラリーの話題から遠ざかってしまいました。

ホッケーをしない「行け!南国アイスホッケー部」みたいなもんです。

バレーボールをしない「工業哀歌バレーボーイズ」でもOK。




さて、久しぶりにラリーの話題です。



間もなく京都府で、全日本ラリー選手権として

「大阪電通大チャリティ丹後半島ラリー」

が行われます。

大阪電通大ラリーと言えば、物凄く思い出のあるラリーです。

筆者が初めて出場したSS形式のラリーでした。



ちょっと昔話をさせて頂きますと・・・

2001年、筆者はラリーのドライバーとしてデビューしました。
最初に出場したラリーは、中部ラリーターマックシリーズ第1戦”MILDラリー”
確か7位だったと思います。

その後、最初のナビゲーターとは方向性の違い(笑)でコンビ解消。


次に筆者のナビになってくれたのが、以降2006年の全日本選手権までコンビを組んだY氏。
難色を示すY氏を説き伏せた言葉が


”一緒に全日本ラリーに出て優勝しよう”


だった気が・・・この辺記憶があいまいですが・・・

この頃の筆者、とっても男前です。



Y氏と練習を重ね・・・

で、Y氏とのコンビの初陣が、”大阪電通大チャリティラリー”でした。
確か、近畿ジュニアラリーシリーズの中の1戦だったと思います。
SSが有ると聞いて、このラリーを選びました。


車は青いEG6シビックSiR。
自分で6点ロールケージを組み、ラリーコンピュータはPartnerという先輩のお下がり。
このラリコン、かなりレアものだったらしく、誰もが二度見するレベルでした。

で、ダンパーは先輩に貰ったグラベル用のオーリンズ。
ブレーキは何だったかなあ・・・、赤いパッド。
タイヤは太平タイヤで買った(笑)中古のポテンザRE010。

そんな感じの車で、サービスもつけず(この頃はサービスの重要性を知らず・・・)
車一台にわずかな荷物のみで、ラリー会場である和歌山県の高野山周辺に遠征しました。

途中通った天理で、サイカラーメン大盛りを食べ、にんにく臭のゲップを社内に充満させつつ、
ひたすら指示された集合場所へ向かいました。


あ、これは余計なエピソードでした。
久しぶりにサイカラーメン食べたいなーと思って。


集合時間は夜で、既に辺りは真っ暗。
サービスのいない我々は、車内のマップランプでコマ図と格闘し、距離などを計算。
(その頃のラリーは多少計算しないといけなかったんです)

周りの人達がサービステントで焼肉や温かい食事を食べているなか、我々は食料を買い忘れ、
周りのスーパーも閉まり(って言うか、田舎なのでスーパーなど無い)
二人で1本のカロリーメイトを分け合って空腹をしのぎ、スタートを待ちました。

Y氏はこれがトラウマになったようで、

”サービスで焼肉を食べるのが夢”

が口癖のようになりました。
ラリーで勝つのが夢だ、とは聞いたことが有りません。


ラリーが始まって、ハイアベ区間をこなし、SSも1本終わって、後2本、というところで、
チェックポイントのオフィシャルが無情の宣告。


「あー、テールランプ切れてるね。今ここで交換して。交換できなきゃここでリタイヤね」


正確には切れているのはポジションランプ?(EG6のストップランプの内側にあるやつ)
そんなもん持ってないです。


叩くと電気が着くことが多いので、リタイヤしたくない筆者は車をビッシビシ叩きまくり。
でも、ピクリとも反応せず。


「ハイ、リタイヤ届け書いて。でも、とりあえずSSは走っていいよ」


で、リタイヤに。


いやー悔しかったですね。
この悔しさは忘れられないです。


という事で、一応全行程は走ったものの、タイム計測されず、結果も残らず。
Y氏との友情は深まりましたけど(笑)


その後2006年まで彼とコンビを組み、数々の挫折とほんの少しの栄光を経験する事になります。
彼とのコンビで中部選手権は優勝出来ましたが、、全日本で優勝する事は出来ませんでした。



だれもが、最初は初心者。

電通大のラリーと聞くと、若かりし初心者の頃の記憶が蘇ります。



ナツカシス。



最後に、大阪電通大チャリティ丹後半島ラリーの成功を祈念致します。

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