昔話:車歴 最初の競技車
探したのは、直ぐにサーキットが走れるような、競技用部品がある程度付いた中古車。
またその車で、可能であれば公認競技、具体的にはジムカーナにも出ようと考えました。
ジムカーナなら、ある程度安全に腕を磨く事が出来るかな・・・と考えた訳です。
あと、レギュレーションの縛りのある中で競いたかったというのもあります。
で、当時発行されていた車情報誌「FREE ROAD」でお店を物色したところ、
中古競技車を多数売りに出していた、とある車屋さんに目が止まりました。
それが、今に至るまでお付き合いさせて頂いている、愛知県日進市のカーショップ、
「アールエスタケダ」さんでした。
若かりし頃の武田社長に車を探して頂き見つかったのが、 次の愛車となる、
「シビックSiRⅡ(EG6)」
色はキャプティバブルーパール。当時のシビックのイメージカラーでした。
エナペタル製の車高調整式ダンパーとエンケイのアルミホイール、タイヤはヨコハマM7R。
ブレーキはウィンマックスの赤いパッドが付いてて、ハンドルはナルディクラシック。
LSDも既に入ってました。
納車された翌日、早速、岐阜のYZサーキットに走りに行きました。
いきなり山に行かない所が、成長の証です(笑)
サベルトの4点ベルトを付けて走りましたが、あまりにもノーマルシートのホールド性が悪く、
YZサーキットの1コーナーで体を支えられず、腰を痛めた苦い思い出があります。
始めてのVTECエンジン車で、トータルの加速感はスターレットと同等かなー、と感じましたが、
ハイカムに変わった時のエンジン音と、加速感の変わりっぷりが衝撃的でした。
トンネルに入ると窓を開け、意味なくエンジンを高回転まで回して、音を聞いてウットリしたり(笑)
そうそう、納車のお祝いに、ダンロップD98J(Sタイヤ)を4本頂いた覚えがあります。
人生初のSタイヤの走行もこの車でした。
この車で随分といろんな所を走り込みました。
ゴミ置き場に捨ててあったタイヤとか、良く使いましたね。
学校を卒業して会社に入ってからも乗り続けて、ジムカーナの大会に2回ほど出ました。
そういえば、モーターランド鈴鹿のこけら落としタイムアタック大会にもこいつで出ました。
その時の写真がありました。しかし変な写真しか残ってないな・・・

そんな感じで腕を磨きつつ、ラリーへの思いは持ち続けていました。
偶然、職場にはラリーをやっている同僚の方が二人も居て、片方の人からはナビに任命頂き、
国内ラリー出場のイロハを教わりました。(2回中部のラリーにナビとして出ました)
もう片方の人からは、インターラリー用EG6の部品をごっそり頂きました。
なんと、EG6でWRCオーストラリア/ニュージーランドに出場されていた方だったからです。
そんな感じで、どんどんラリーの世界が身近になっていきました。
貰った部品を自分で車に付けて、ロールバーも付けて、ラリコンを付けて、ラリーの練習しました。
大事にして来ただけに、最初にダートを走らせた時は、ちょっとグッと来るものがありましたが、
(ボディに傷が付きますからね)
あっという間に、そんなもの気にならなくなりました(笑)
で、ついにドライバーとしてデビューしたのが2001年中部ターマックシリーズMILDラリー。
その後、以前の記事でも書いたY氏にナビをお願いして大阪電通大チャリティーラリーに出て、
で、2002年には中部ターマックシリーズ4戦と、長野県戦に1回参戦しました。
かれこれ4年位・・・サーキット、ジムカーナ、ラリー・・・と、いろんなイベントに出て、
また、いろんな人々と巡り合わせてくれた思い出の車でした。
いろんな失敗をしながらも、車の整備や部品交換も少しずつ出来るようになりました。
2002年までで競技から退き、練習車にして走らせてましたが、ある日ぶつけて壊してしまい、
駐車場に放置状態だったものを、筆者の先輩がレース用に改造するからくれ、 という事で、
ドナドナされて引き取られて行きました。
いまはどこでどうなっているんでしょうか・・・
さて、ラリーを始めた頃と平行して、もう一台、足代わりの車を同僚の方から買いました。
「ホンダトゥデイ ポシェット」 青い丸目のトゥデイです。

シビックのエアコンを、これまた若気の至りで外してしまった為、通勤用に、エアコンの効く、
運転の楽な車が欲しかったからです。
これがまた、非常に曲者でして、エンジンがスラッジ(オイルのカスみたいなもの)だらけ。
買って直ぐに、スラッジがオイルストレーナー(オイルをオイルパンから吸い上げるもの)
を詰まらせて、オイルが循環しなくなり、オイル警告灯が点灯しました。
このままでは、買って速効でエンジン焼きつき=エンジンオシャカ、という状態でした。
筆者の車歴は、買って速効で何か起きるのがパターン化してますね・・・
足代わりで買った車のエンジンをオーバーホールしたくはなかったので、先輩に手伝って貰い、
ダメ元でオイルパンを外して、ストレーナーを新品に変え、オイルパン内のスラッジを掃除して、
新しいオイルを入れてみた所、見事に警告灯が消え、復活!
試運転もそこそこに、実家に帰る用事があった為、鈴鹿から岐阜に走行中。
「カラン・・・・」
という音と共に、バックミラー越しに何かが道を転がって行くのが見えました。
と共に、消えたはずのエンジンオイル警告灯が再点灯。
道端に止めて車を見ると、
「ジャバジャバジャバーーー」
エンジンオイルが超スーパーダダ漏れ。
すぐに悟りました・・・ドレンボルトが落ちた・・・
多分、手締めのまま、本締めを忘れたのでしょう。
ドレンボルトとオイルを、一度に国道上で失いました(笑)
このまま、JAFの御世話になるって事は、また母に呆れられる訳です。
という事で、変な意地を張った筆者は、もと来た道を徒歩で、ドレンボルト探しに行きました。
幸い、トラックにも引かれず、ドレンボルトが無傷で見つかったので回収。
あとはオイルを確保すれば・・・と、遠くにホームセンターが見えました。
2kmくらい歩いたと思いますが、「コメリ」でオイルと漏斗、キッチンペーパーを確保。
トゥデイと共に大ピンチからの生還を果たしたのも、ちょっと苦い若かりし頃の思い出です。
このトゥデイ、これ以外は大きなトラブルもなく結構長生きして、筆者の足になってくれました。
ただ、肝心のエアコンの効きは悪かったです(笑)
何か書き出したら止まらなくなってきました。
次回に続きます。

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